稽古の指針について

天心流にはあまりに多くの技法があります。そして多くの稽古法もあります。有限の時間の中で、日々の稽古メニューをどうするのかというのは、切実な問題になります。

まずまとまった時間以外に、スキマ時間を活用するのが大切です。正装をして長時間稽古することばかりが稽古ではありません。
実際、二時間の稽古でも、すべての時間集中力を持続出来るわけではありません。
例えば一回五分の短い稽古でも一日に複数回取れれば、下手すると通常の二時間稽古より効果的な場合もあります。
刀や帯がなければ木剣を用い、それもなければ扇子を用い、扇子がなければイメージの刀を使えば十分稽古になります。
多くの人が「きちんとやらないと意味がないからやらない」という思考に陥りがちです。
私も一般の人に比べれば稽古場で過ごす時間は格段に長いです。しかしやはり自分の稽古時間は自分の生活の中で捻出します。多くの作業がある中で、コーヒーを淹れるために湯を沸かす時間、蒸らす時間に素振りをしたり、足捌きを稽古します。
ちょっとした待ち時間にも、人目が気にならない場所なら扇子や無手で気になっている技法の稽古をします。

隙間時間を活用する

さて、そうした時間術で稽古時間を確保出来た人には、次の深刻な問題が立ちふさがります。
それは冒頭に挙げた、何を稽古すればよいのかわからないという問題です。
これは飲食店や販売店でも問題しされます。ついついメニューを増やしますが、実は必ずしも良いことではありません。アイテムや原材料の在庫を抱えるのも、それらを購入するにも作るにもコスト増となります
し、またメニューが多すぎてお客さんは却って決めかねてしまうという問題もあります。
販売の場合は購入意欲が低下するリスクが高まるそうです。
これは国内外同様ですが、よく「日々の稽古メニューをどうすべきなのかわからない」という質問が来ます。
先日は「士林団の武士は自分の稽古時間を持っていたか?」という質問を受けました。
何分史料がなく、天心先生の記憶にないことは憶測でしか語れませんが、役務としての稽古以外は、あまりまとまった稽古時間を取れていなかったのではないかと思います。
ですから彼らもおそくら隙間時間を活用したことでしょう。
そういう意味で、例えば毎日自主練を一時間やれる人に、どのようなメニューを推奨するのかというのは、難しい問題になります。

答えは、日課のルーチンメニューは作るべきではないという結論です。
前述の通り、天心流にはあまりに多くの技法と稽古法が伝承されています。往時でもこれをこなすのは難しかったことでしょう。
しかしそのような設計がなされているということは、どのように稽古すべきなのかを明瞭に示していると考えるべきです。
私が昔学んでいた流儀にも、多数の技法がありました。そして持て余し、10年間修行してもまったく上達しませんでした。しかしその後、徹底的に基本を学び、初学の技法を修練することで、一気に上達することが出来ました。
そうした天心流では下地稽古(したじげいこ)と呼ばれるものは大事です。
「土台固めて城築け」という天心流の道歌にある通りです。
そして技数の少ない流儀を羨ましくも思いました。
徹底的に掘り下げると、とてつもない深い世界に行き着けるのではないかという、ある種の羨望です。
普通に考えれば、500個の穴を掘るより、50個の穴を掘る方が、一つあたりの深さは深くなります。

ですが、実は武術の場合は現実の穴掘りとは異なります。つまり多くの穴が深さを共有します。別に穴を掘って、元に掘っていた穴に戻ったら、勝手に穴が深くなっているという事が起こります。
逆にルーチンで固定化すると、実は多角的な上達を阻み、偏りや盲点を作り出す危険性がなります。
そのため、基本的に天心流では、マイブーム稽古を推奨しています。
つまり自分の中でやりたいメニューをその時の気分で行うというものです。
それをその日その時だけ行っても良いですし、三日続けても良いですし、一週間続けても良いでしょう。一ヶ月でももちろん構いません。
大事なのはルーチン化させて、「稽古をしている」という充足感、満足感に浸らないことです。
これは典型的な手段の目的化の一例です。
稽古そのものが楽しいのは大いに結構ですが、それが完全に目的化してしまうと、上達を阻害する原因ともなります。
特に基礎となる稽古は、徹底的に行うのが良いですが、出来るだけ多くのメニューを行うことで、武術マンネリ、倦怠期を防ぎ、多角的に鍛えることで安定的に上達することが出来ます。

ルーチンメニューではなく、出来るだけマイブームで一過性な稽古を行う

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