名について②
■「号」について
日本では大陸(中華)文化から影響を受けて、名前についての独自の文化を構築してきました。
第八世師家石井先生は「親から授かった本名を傷つけないように、活動は号でやった方が良い」とおっしゃり、天心先生は先代より「天心」の号(ごう)を名乗るように言われて用いています。
この号というのも古く中国にはじまった風習であり、自身での名乗りが許されているものです。
号には下記のように様々なものがあります。
・筆名(ひつめい。ペンネームの事)
・雅号(がごう。文人・画家・書家などが用いる。風雅の雅から来ている)
・画号(がごう。特に画家に用いられた)
・俳名(はいめい)または俳号(はいごう。俳人に用いられた)
・芸名(げいめい。芸能人が用いる)
・源氏名(げんじな。現代でも風俗産業で用いられるが、古くは平安期に源氏物語にちなんで公家に仕えた女官が用いた名前であったが、武家の奥女中でも用いられるようになり、一般用語化して遊郭に用いられたようだ。)
・狂名(きょうみょう、きょうめい。狂歌作者が用いる号)
・候名(さぶらいな。侍名とも書く。殿名、小路名などと同様に、宮中で女官に用いられたという)
天心流では石井先生に倣って、一定の修業期間を経て認められた門人には天心先生から武号が授けられます。
これは明確な規定があるわけではありません。
実力に関係なく、天心先生が頻繁に顔を合わせる門人、気に入っている門人など主に依怙贔屓や気まぐれによって授けられます。
天心先生が元気なうちには、特別な理由が無い限りは私や井手先生から武号を授けるつもりはないが、もし特別な理由がある場合でも、天心先生よりもはるかに厳しい基準になります。
(※一度は顔を合わせる必要があると思いますが、TENSHINRYU ONLINEのメンバーも私達の基準を満たせば武号を授けます。)
さて、そもそも武術家としての号というのは往時(江戸期)にはあまり一般的ではありませんでしたが、特に明治以降には諱や字などの概念が薄まったために、その必要性が生じました。
現代では特に武術で用いる号は、武号(ぶごう)と呼ばれています。
便宜上の呼称で武術界隈では用いられますが、一般名詞というよりも業界用語のようなものです。
しかし、そもそも現代ではほとんどの日本人が「号」という文化も、名称も知りません。
江戸期以前の、特に上流階級に見られる本名を隠す文化は、現代ではインターネットで広く見られます。
特に日本人はSNSで本名の使用を避ける傾向にあると言われており、それも江戸期の本名を隠す文化の影響があるのかもしれません。
このように、姓名など隠す事を四文字熟語では隠姓埋名(いんせいまいめい)と呼ばれます。

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