本目録について

 基本からの積み重ねが重要であるととは、天心流オンラインのメンバーなら誰でもしっかり認識して頂けていると思います。
 しかし、天心流ではその修業年数に関わらず、楷書(または守。動きを分割した型で、稽古の最初の段階)だけでなく、草書(または離。動きを区切らない、実戦的な段階の動き)の稽古に最初から取り組みます。
 また速度も初学者から序破急の序だけでなく、均一に急も大事として稽古します。

 同様に、天心流では、必ずしも基礎の技法が合格段階に至らなかったとしても、より難しい技法に挑戦してもらっています。
 江戸時代初期には、稽古もお役目の一環であり、現代とは比較にならない程膨大な時間を稽古に費やしており、また稽古環境も十分に整っていていたため、瞬く間に上達するのは当然でした。
 ですが忙しい現代ではそう簡単なことではありません。
 ですから往時に比べて基礎を練る時間に多くを費やす必要があるのは当然なことです。
また生涯学習的観点からも、往時のように隠居という必要はなく、健康寿命も伸びている現代では、気長に楽しく稽古を続けるというのも、現代ならではな古武術稽古の醍醐味の一つと言えるでしょう。

 しかし江戸時代の天心流では、お役目のために、出来るだけ短期間で実戦に役立つ技法を身に着け、すぐに戦える武士として育成する必要があります。いわば武士の促成栽培であり、三十年、四十年後のはるか未来の達人を養成するのも一側面ですが、それは根本の目的とは異なります。一刻も早く仕える君主、徳川家のために働けるようになることが、禄を食む身として務めでした。

 さて、そのようにして楷書、行書、草書、あるいは序破急の稽古を、いわば時期尚早の段階で稽古を積むのと同じように、その段階ではないにも関わらず、上級の技法に挑戦させるのも天心流の稽古法の一つでした。
 それにより多角的な訓練がなされ、身体的能力も技術力も感覚的能力も、対応能力も、すべてが向上します。
 初学の段階ばかりを徹底的に長い年月行えば、その部分に関しては圧倒的な能力を獲得出来るのは自明の理です。
 ですが、突出しているということは、それ以外の部分が著しく不足、欠落しているということです。
 石井先生はこれを、学校のカリキュラムで例えていました。
 国語算数理科社会、と学校の授業ではまんべんなく様々なことを学ばせます。
 武術の世界でも個性を大事にすべきだという考えを持つ人はいますが、しかし天心流では個性とはそのような安易なものではないと考えます。
 個性は否応なく勝手に突出します。
 ですが個性とは必ずしも良い面ばかりが出るわけではなく、マイナスを生み出す場合も多々あります。
 そうした際に、他の苦手であっても学んだものが、それをカバーしたり出来ます。
 そしてそれによって個性が個性として良い意味で輝くのです。
 個人の中で、まんべんなく稽古を行い、それでも能力には凸凹、得手不得手は生じて、しかしまんべんなく稽古したことで、その人は十分な役割を果たせる存在に昇華されます。
 同様に、士林団の組でも5人一組でそれぞれに長所短所持ち合わせており、互いにこれをサポートし合って任務を遂行するのです。

 話が逸れましたが、稽古も同様です。
 様々な技法を学んでこそ、真の天心流が求める上達に至ります。
 ですから、最初の天心流オンラインでも、初学の段階から難しい技法を取り入れていました。

この天心流オンライン ー 極 ーでは現代の即した小ステップとしての伝位だけでなく、もっとも厳格で伝統的な伝位(これを便宜上「本目録」と称します)に基づいたカリキュラムのページを作成し、そこに入会時期から進むステージとは別に、時期尚早な上級者向けの技法を稽古課題として皆さんにシェアします。
 このサイトのシステムで比較的容易に、そうした取り組みが出来るようになりました。
 今後、バランスを取りつつ、不定期に本目録の更新を行います。
 どうかより高度で高難易度な技法に、苦しみつつ楽しみつつ取り組んで下さい。

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