最後に書いてますが、これは天心流の国外で頻出する人間関係の問題について、私の経験を通して何らかの参考になればと思い書いた文章です。
翻訳するためにまず日本語で書いたので、せっかくなのでシェアしたという程度のものです。
私は高校を卒業した後、七歳から学んで二段となっていた少林寺拳法をより追求するため香川県多度津町の金剛禅総本山少林寺にある日本少林寺武道専門学校、通称武専の本科に入学しました。
(なお少林寺拳法は中国の嵩山少林寺に伝わる拳法でなく、中国で武術を学んだ日本人の中野理男という方が、敗戦後に帰国し、様々な体験(仏教修業、儒教修業)と武術(バックボーンとして日本の古武術、柔道、剣道など含む)を整理再編し確立した日本独自に武道です。特に教えとして原始仏教を中核として、金剛禅と称する宗教法人格を有します。)
そして私はここで二年間の寮生活、修業三昧の生活を送ることが出来ました。
この武専の前身は、山門衆(さんもんしゅう)と呼ばれた内弟子制度であり、日本各地から少林寺拳法修得を目指して参禅した若者文字通り巨大な本部施設道場の正面門にあたる仁王門(におうもん)の上に居住した事に由来する名称です。
正式な専門学校の設立は、少林寺拳法の開祖宗道臣先生の長年の夢でありましたが、設立を見ることなく逝去され、それから間もなく、全寮制の武専が設立となりました。
ここでの生活は間違いなく私の人生でもっとも重要で、かけがえのない時間でしたが、当然ながら厳しい二年間でもありました。
学校としての教育ももちろんありましたし、武道の専門学校として、素晴らしい稽古環境、そして武道の指導者育成機関としても、重要な教えを多々受けることが出来ました。
しかし多くの時間を、膨大な敷地面積と多くの本部施設を有する本部の清掃、管理に費やし、また本部で行われる各行事の準備、運営も学生の通常業務でした。
もちろん、本部には専従の職員(非修行者)も多数いましたので、学生の役割はあくまでもサポート役でしたが、それでもこれは本部運営にとって貴重な労働力となっていました。
同時にそれが、学生に大きな学びを与える機会になっていたのも事実です。
さて意気揚々と入学した当初、少林寺の第二世の師家を継承していた開祖の実の娘である宗由貴会長の挨拶がありました。
それは実に衝撃的なものでした。
前述の通り、少林寺の特徴は思想性です。
実際は合気道の開祖、植芝盛平先生は大本教の熱心な信者であり、合気道もその思想を色濃く受け継いでいます。
しかしわざわざ武道団体で宗教法人格を有するのは少林寺だけです。
戦後のGHQの武道禁止への対抗策という側面はありましたが、しかし達磨大師を本尊とした仏教としての側面は、少林寺拳法の誕生史と密接に関わっており、その宗教性は飾りではなく、本気のものでした。
少林寺拳法は設立当初から、単なる強い人間を生み出すのではなく、戦後日本を背負って立つ心身共に磨かれたリーダーを育成することを目的に掲げており、それには、優れた模範となるような人格形成が必須であり、その核となるのが原始仏教を根源としたものだったのです。
宗教についての四方山話(よもやまばなし)
特に1980年代以降、アメリカのいわゆるニューエイジブームの影響により、日本では新新興宗教(明治以降に誕生した宗教を新興宗教、新宗教などと呼称し、その中でも、特に戦後に誕生したものは新新興宗教、ないしは新新宗教などと呼び区別します。もっともすべてひっくるめて新興宗教、新宗教と呼称する場合もあります)が乱立、それが後のオウム真理教の誕生と悲劇に繋がりますが、そうしたことから特に日本国内では宗教アレルギーが根強くあります。
しかしことの問題は、そもそも宗教とは何かということ、そして宗教体験を殆ど経験せずに育った中、精神的支柱を持たずに迷った人々のたどり着いた先が、新新興宗教だったと言えます。
もちろん新新興宗教のすべてが悪いものではありません。カルトと定義された反社会的側面を色濃く持つものが問題です。
もっとも宗教学的には、民族宗教(土着の宗教)と対立構造となる普遍宗教は、その普遍性、つまり民族、国家などの枠組みを超越してその信仰と文化を布教するという理由から、そもそも本質的には反社会性を大なり小なり有するとされますが。
皮肉なことに、宗教を否定しても人間は精神的に独立出来るものではなく、さらに現代の家族コミュニティ、地域コミュニティの崩壊、そして神道、仏教などの宗教コミュニティと精神的支えを失ったこと、そして国家運営の失策による経済的問題から、心理的に極めて不安定な状態が醸成されており、謂わば一億躁うつ病のような状況があります。
皮肉なことに、古代エジプトで古来よりの土着の信仰を国家として破棄し、自らを神とするアテン信仰を生み出した(アマルナ改革)アクエンアテン(古代エジプト第18王朝のファラオでアメンホテプ4世とも呼ばれる。もっとも有名なファラオ、ツタンカーメン王は彼の息子に当たる)は、「人は目覚め、自らの足で立つ」と記したとされますが、彼の死後に彼により新たに作られた遷都した都市アケトアテは即座に棄てられ、大神殿がそれを飾る聖物と共に破壊され、彼のレリーフや名前も削れれて彼の事績と共に葬られました。
この都市は3000年後に再発見され調査が行われるまで、殆ど忘れ去られた存在でした。
当時エジプトでは、権力と膨大な富が土着信仰であるアメン神の神官に集まっており政治的、経済的に大きな影響を与えており、これを廃絶する狙いがあったとされましたが、この試みはまったく失敗しました。
宗教に代わり、科学が世界を支配し、利便性と合理性が追求された現代社会の人々の幸福度が上がらないのはなぜなのか?
それはシステムを如何に変更しても、そもそも私達の脳みそはそこまで簡単に進化しないためです。
昔の人々の迷信、盲信を私達は莫迦にしますが、本質的に私達の脳みそは彼らと殆ど同じです。
暗闇を怖がり、未知を怖がり、死を恐れ、常に何らかの不満と不安を抱えています。
日々の出来事に一喜一憂し、喜怒哀楽に振り回され、欲望をコントロール出来ないでいます。
心理学も脳科学も、脅威の大宇宙である心と脳と解析途中であり、解析出来ても、それをどうコントロールするべきなのかは曖昧で、常に患者を利用した実験を行っているに過ぎないと、当の研究者、医学者も皮肉を込めて吐露しているのが現実です。
なぜこのようなことを書いているのかというと、世間の宗教はバカバカしく、頭の悪い人が入信するという単純なイメージから離れて、最低限の宗教知識を書くとしたインテリになってほしいと思うからです。
天心先生は「神を信じない」と公言します。もちろん個人としてそうした考えを持つのは大いに結構なことですが、それを公言して否定的に捉える人が、宗教施設で演武を行うなどは、果てしない失礼な振る舞いです。
そして何より、その態度の根源にあるのが、無知から来ているというのは、とても恥ずかしいことだからです。
人類史、宗教史、そして実際の宗教的慣習と儀礼を知った上で、自分の考えを持っているのならば何も申し上げることはありませんが、何も知らないで公に批判するのは、ものすごく社会的にまずい行為です。
インテリな人々から見れば、「武術とは結局、知識の無い頭の悪い人々が、刀を振ってる暴力装置的な存在である」と喧伝していることにほかならないのです。
日本では信仰の自由が保証されていますし、公に否定をしなければ、神道を信じない人が神社で奉納演武をしても、仏教を否定する人が寺社で演武を奉納しても問題はありません。
別に何らかの信仰をおすすめしているわけでもなく、トリビア的に横道に話を反らしているだけです。
ただ知らないから批判するというのは、人間の本能に由来する行為であり、意識的に避けなければそうしてしまうということは理解して欲しいと思います。
人間は誰もは磨けば光る珠である
ということで本筋に話を戻します。
宗由貴会長は言いました。
「ここ(本部)は残念ながら理想的な場所ではありません」
「本部の高名な先生も含めて皆それぞれに問題がありますし、聖人君子のような人はいません」
私は少林寺が好きでしたが、しかしそこまでマニアックだったわけではなく、機関誌も読んだことがなく、本部の先生も誰一人として知りませんでした。
私と同じ道場出身で私に引っ付いて入学した友人や、同じく札幌出身の友人(なぜかその年だけが異常で、わずか9人の新入生のうち北海道出身者が5人で、私の友人を除いてはそれぞれなんの繋がりもなかったため、先生方も驚愕していました)の同級生は、本部の殆どの先生を知っていて、有名人を見るように興奮していたのを覚えています。
ですが、まあ本部の先生であり、かつ前述のように(そして大きく横道を逸れた発端となる)少林寺拳法が人格形成の行(ぎょう。修行のこと)であると掲げているのだから、それはさぞ立派な人格者の集まりなのだろうとは期待していました。
ですからそのように言われて、「なんでやねん」と内心ツッコんでいました。
それでは何のための少林寺拳法なのだと。
本部の人間ですらそうなのなら、そもそもお題目と現実が乖離しているわけで、つまり少林寺拳法はシステム的に失敗していることを意味しています。
そして実際に本部での生活を始めて、彼女の言葉が真実だったことがわかりました。
二年目には、ある先生が突然本部職員を解雇となりましたが、実は多額のお金を使い込んでいたことが発覚して懲戒処分を受けたためでした。
もちろん、先生方には尊敬すべき点が多々ありましたし、多くの教えを受けて導いて下さったことには深い感謝しかありません。
ですが同時に、やはり期待していたのとは違うというの現実がありました。
宗由貴会長はそれだけではなく、次のように続けました。
「先生方がそうなのだから、学生同士はもっと人間的に未熟です。だからここでは思う存分に互いにぶつかりあって欲しいと思います。互いにぶつかってぶつかってようやく、磨き上げた珠のように素晴らしい人間になれます」
その時はピンときませんでしたが、実際、武術を志す人間などというのは一般の人より気性も荒く、エゴイストです。
そして学生同士、そして時には先生とも散々に衝突する日々が始まりました。
さらに付言すれば、宗由貴会長も問題のある方でしたが、今や他流のトップ(厳密には御子息に譲られていますが)となるため、批判となってしまうのでここでは書けません。(別にスキャンダルとかではなく、普通の問題点です)
その結果、私は家族から「まるで別人かと思った」というような変貌を遂げることが出来ました。
さてここまで長々と書いてきましたが、天心流で国内外問わず、人間関係で問題が起こることがあります。
人間社会なので問題が無い方が不自然です。
私も武専の同級生、上級生、下級生と、毎日のように喧嘩をしていましたし、日々ギスギスとした関係でした。
理想はもちろん「みんな仲良く」です。
しかし人間は主観的な存在であり、それぞれに自分を中心にしか世界を捉えられません。
もちろん一定の客観性を有しますが、あくまでも一定のレベルに過ぎず、その客観性すらも主観の一部です。
それぞれの主観がぶつかり合い、エゴがぶつかり合い、争いが生じます。
良い悪いという二元論ではなく、各々に正義がある良いのみの実は一元論の世界です。
ですから争いが起こることを「悪」と定義してはいけないのです。
不仲という問題は問題として対処する必要はありますが、起こる問題そのものが、「起きるべきではないこと」と強く考えてしまうと、一種のアレルギーのようになってしまいます。
結果、揉めない事が目的化、問題はさらに肥大化します。
もっとも問題解決は容易ではありません。
それぞれに成長がなければ、永遠に揉め続けます。
私とある年上の同級生は、毎日喧嘩をしていました。
顔を合わせては皮肉を言い合い、否定しあい、喧嘩を、稽古で組んでいても相容れないような喧嘩稽古でした。
もっとも衝突が多く、互いにもっとも毛嫌いしていた間柄でした。
しかし入学から三ヶ月程経った時に、突然すべてに感謝する感情が生まれて、置かれた環境、家族、友人、そして本部のすべての先生から学生、関係者と自分に関わるすべての人、そして関わりのないすべての人への深い感謝の感情が湧き溢れるという私にとっても事件が起こりました。
まあ実は1997年の7月19日に公開されたエヴァンゲリオンの旧劇場版映画(完結作)を見たのがきっかけです。
あの映画でなぜそういう感情が巻き起こったのか自分でさっぱりわかりませんが、映画の後半でその感情に気づき、寮に戻っても多幸感と深い愛情、感謝が溢れんばかりでした。
帰寮した時、そのもっとも毛嫌いしていた年上の同級生と顔を合わせた時にも、その無尽蔵で無限大の愛情と感謝が溢れ出て、心からの笑顔をで接することが出来ました。
以降、私の彼への態度は豹変し、常に優しさと愛情と感謝をもって接することが出来て、彼の態度も豹変しました。
常に私の後をついてくるようになり、まったく刺々しい会話はなくなり互いの皮肉もなくなり、すっかり仲良くなってしまいました。
結果、当然ですが私の生活からは多くの衝突がなくなり、とても快適になり、それは今に続いています。
あれほど憎しみあっていた相手と友好な関係性を築けたというのは、中々人生では起こり得ない貴重な体験です。
もちろんそれ以外にもたくさんの学びの結果、今の私の人格が形成されていますが、それは大きな契機の一つです。
仏教では順縁と逆縁という言葉があります。
順縁は良いきっかけがあって仏門、仏道に入ることで、逆縁は悪い出来事で仏門、仏道に入ることを言いますが、私にとっては憎むべき敵との出会いが、むしろ自分を育てて開眼するきっかけになったのです。
天心流が組織として未熟であり、成長途中であるため、今後も問題は出ることは避けられません。
しかしそれは、組織としても、また個人個人としても、常に成長変化している証であり、さらなる成長のチャンスです。
コミュニケーションは私達人類が個体生物として完全進化を遂げるまでは、決して避けられない問題であり、太古の昔、生存競争の果てに生み出した偉大な生存方法です。
つまり私達は生きている限り、このコミュニケーション能力を成長させなければ、自分の満足した人生を全うすることは出来ません。
そうでなければ絶えず不満を抱えて、他者と交わることになります。
そのようなストレス満載の人生を歩むためにこの世に生を受けたと考えたくはありません。
「瓦(かわら)も磨けば玉になる」という江戸時代のことわざがあります。(毛吹草より)
玉とは宝石であり、瓦のようなもの、素質がない者でも磨き続ければ光を放ち、それは宝石のような価値あるものとなるという程の意味です。
磨けば輝くという希望の言葉ですが、逆に言えば磨かなければ光らないという現実も伝えています。
そしてさらに言えば、磨いて一度輝いても、そのまま放置すればやがて埃が蓄積して、人生の垢でまみれて、輝きを失うということであり、大事なのは絶えず磨き続けるということです。
私自身もまだまだ修行が必要な身です。
加齢と共に、学習と習慣化など努力によって獲得した人格は弱まり、生まれながらの本質的人格の影響が高まり、支配されるという研究結果が出ています。
ですから今年の10月で47歳になるらしい(今も自分の年令がわからなくなって調べました)私は、人格的にはどんどん劣化していると言えます。
18歳で虎の穴に入って切磋琢磨していた頃より、ますます人格を磨かなければ、人格レベルは日々低下して、見るも無惨な老害化してしまうということです。
なぜこのようなことを書いたのかというと、実は特に国外においては人間関係での問題が多く、私の経験とそして今、なお自らの修行に励み背中で示そうという意志を共有し、何らかの参考にしたいと思ったからです。
が、まず日本語で書いて、それを翻訳するついでに実は皆さんにシェアしたという次第です。

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