なお、記事内の文面は動画内の文章の単なる文字起こしではなく、大幅に加筆修正されています。必ず文章も併せて読むようにして下さい。
今回は坐法 置刀(休太刀)の技法である抜打(ぬきうち)です。
これは秘太刀(秘剣)に位置付けられ、抜刀としては難易度の高い技法となりますが宗矩公の活人剣の思想を象徴する技法である事から、坐法 置刀における抜刀技法の初学として位置付けられ、最初に学ぶ事とされます。
これは止むを得ず抜刀する場合にも、可能な限り血を見ずに諍いを制する技法です。
峰、時に鎬を用いた打撃の技法です。
一般に峰打ち(みねうち)と称されます。昔から、棟打ち(むねうち)は刀の泣き所というような言葉もあるそうです。また平打ち(鎬で打つ)も当然強いものではありません。
これは峰が刃に比べて強度に劣るためであり、また鎬は如何なる剛刀でも身幅に比べれば重ねは薄いため強度は低くなります。
しかしそれは単純な強度の問題であり、刃を用いても破損するリスクは当然生じますし、刃が薄いということを考えれば欠けや曲がることで継戦能力を容易く失うのは容易に理解出来るかと思います。
天心流が鎬、峰を用いて受け、また打つのは、適材適所、最適な技法と技量を用いれば、刀身を損ないという事実を、古人が経験則により知り、工夫を重ねた結果です。
ここで峰、鎬を用いた抜打は、野球のバットを用いたフルスイングとは異なります。
鋭く小さく打ち込むことで、打撲、ないしは骨折で対象の動きを封じることが出来ます。
また密命を帯びて、意図的に諍いを起こし(対者を挑発し、激昂するように仕向けるなど)、そこでこの技法を以て制し、対者を陥れる場合にも用います。
対座にて打ち倒すことから坐倒剱(ざとうけん)、また友人との口論、諍いにより一時的に紲(きずな)を絶つことから、 紲太刀(きずなだち)とも呼びます。
一時的に紲(絆)を絶っても、時が経ち傷が癒えれば、復縁も出来ます。
使用する部位について

天心流では使用する刀身の部位の主たる用途合わせて、それぞれ次のように名称を付しています。
殺刀(さっとう)
制刀(せいとう)
防刀(ぼうとう)
活刀(かっとう)、または和刀(わとう)
殺刀(さっとう)は、刀身の切っ先側三分の一を指します。
主に、斬撃、刺突に用いることから、殺刀と呼称されます。
制刀(せいとう)は、刀身の中ほど三分の一を指します。
対者の刀を制御することに主に用いられることか制刀と呼称されます。
防刀(ぼうとう)は刀身の鍔側の三分の一を指します。
主に防御に用いる部位であることから防刀と呼称されます。
活刀(かっとう)、または和刀(わとう)は峰(棟)を指します。
今回解説する抜打に代表される、血を見ずに諍いを納めることから、人を活かすことに由来して活刀、また和合を示すということから和刀とも称されます。
また通常、天心流では切っ先三寸(切っ先から9cm程度) で浅く切ります。しかし抜打で切っ先三寸を用いると、突いてしまうリス クがあり、また刀身へのダメージも大きくなります。
そのため、抜打では殺刀と制刀の境目程度(刀身の 先端から三分の一程度)、一般に物打と呼ばれる部 位を用いて打ちます。
これによって、間合が通常よりやや近くなります 抜打にはそうしリスクがあることを理解しておく必要があります。
手順の解説
※すべての動画に共通する注意事項です。ここに示す分解手順は、一つの基準となるものですが、絶対的な分解ではありません。もっと細かく分割して稽古することも出来ます(あります)し、またもう少し手順を減らして稽古する場合もあります。
①左に置いた刀を左手で取ります。この時、左手親指で鍔を控える(抑える)ことを忘れないようにして下さい。
②刀を抱くように水平気味に引き上げ、右手を柄に掛けます。(刃を上にしません)
③やや半身となって、左手で鞘引きします。(右手から動かさないように注意します)
④右足を前に出し居相腰となり、完全に半身を取って鞘を払い右肘を伸ばして峰にて上腕を打ちます。
⑤手の内で刀を返して、右拳を落とし、やや両足前に進めて切っ先を対者の喉元に突きつけて詰めます。
⑥対者が戦意を喪失し、刀を手放して継戦意志の無い事を確認した、忍足で六尺(180cm)以上引き退(さが)ります。
⑦沈み青眼で残心。
⑧折敷で再び残心。
⑨血振いより刀納(納刀)する
打つ部位について
抜打で狙う部位は次のようになります。
①顳かみ
これは眼球が飛び出し、脳挫傷で殺してしまうリスクがあるため、特別な場合(懲罰的な場合など)を除き、通常は用いません。
②上腕
スタンダードな方法です。上腕部分はきれいに修復しやすいため、非常に有効な部位です。
もし対者との関係修復を望まない場合には、二度と腕を自由に使わせないという意図をもって腕の曲がり(肘関節)を狙います。現代では高度な外科手術で快復可能ですが、往時は障害が残りやすい部位です。
③前腕、拳(手指)
これは水平ではなく、袈裟懸けになります。置刀から小さく袈裟懸けに抜刀するのは難しく、拳(手指)はもっとも抜刀を制する上では効果的ですが、的(まと)としては小さくさらに難易度が上がります。
他に状況に応じて使い分けます。
例えば顎を狙い、打ち外したり、出足の右膝や脛を打ち払うというものです。
なお特に顳かみや顎を狙うというのは、抜討の一種として行います。
基本的には対者の攻撃に応じる防刀ですが、そうした場合は上意を受けての抜討としてこの抜打を用います。
解説 抜刀時の動作
柄に右手を添える時には、握らないようにします。
人中路(身体の中心線)より右拳、鍔が右に来るように抜刀を行います。
特に速く抜刀しようとすると、自分の右小手(右前腕)を対者に晒します。
速く右手で柄を持って抜刀体勢に入ったり、速く抜刀を始めても、総合的に対者に刀が届く速度は速くなりません。
実際に抜刀を始めるタイミングは遅くとも、初動で最適化された抜刀の手順を踏襲する方が、安全かつ素早く対者に刀を届けることが出来ます。
また鯉口を切る動作を忘れないようにします。これはあらゆる抜刀の稽古に言えますが、稽古用の刀は鯉口が緩みやすく、鯉口を切るという大事な手順を学ぶ機会が少なくなります。
そのため往時から親指の力(鯉口を切る力)を鍛えることが肝要です。
そして鞘を持った際に、刀の角度を変えないようにします。通常の抜刀では、立相と同様に刃を上に、峰を下にして抜き出します。しかしこの抜打では、「置いた刀のまま抜刀すれば、刀は反転して峰がそのままに対者を打つ」というのが基本の教えです。
ですから鞘を持った際にも、鞘引きの際にも、刀と鞘は極力水平を保つようにします。
そして鞘引きの際に左拳を身体から極力は離さないようにし、また鞘は高さを保って鞘引きします。これにより鞘引きが終わった段階では、鞘は腰ではなく、胸の下辺りに位置するようにします。
解説 足運びについて
まず扇坐より、両つま先を立てて跪坐となります。
右足を進め、左膝を寄せます(これを寄せ足と呼びます)。
右足の踵はやや浮かせてつま先立ちとなります。
解説 詰めについて
詰めに入る動作の解説です。
まず手の内で刀を返して拳(柄)を下げます。
この際、同時に右足を僅かに前に進めます。
抜刀終わりでは左拳、鞘は腰に付けず、胸下辺りに置きます。
そして詰めると同時に、左拳と鞘を左腰に付けます。
右肘を、右膝内側に付けます。
進めた右足に従い、左膝を進めます(寄せ足)。
終わりに
長き戦乱を経て、天下統一を果たした徳川幕府の治世が、平和に末永く続くことを目的として編まれた兵術が天心流です。
しかし現代においても同様に、どれだけ願っても人が完全に争いを無くすことは出来ません。
ですから、已むに終えない時、最善を目指し、そのための手法を学ぶことを天心流では教え、伝えてきました。
そのため、屋内、対座を想定した技法、稽古において、まず置刀では抜刀せず諍いを納める技法である殿中刀法鞘ノ中(でんちゅうとうほうさやのうち)より学び、次に抜刀の術を学ぶ際にも、流血沙汰を避けて諍いを納める抜打を学びます。
これは単なる戦人ではなく、治世を司る存在でもあった武士のあるべき姿を示しています。
第八世師家 石井清造先生は、そうした武士としての精神性を言葉でのみ教え、技法になんら反映されていないとして他流を「侍事」と揶揄していまた。
それは侍の真似事という意味です。
現代には士分は存在しませんから、私達もある意味では侍事に過ぎません。
これは伝統や日本刀を笠に着て、武士道と日本刀をいたずらに振り回し、他者を傷つけ社会に悪影響を及ぼすような殺人刀(反社会的存在)とならないための謂わば自制として忘れてはいけない事実です。
この戒めを忘れなければ、勘違いした思い上がりや、自惚れに陥るようなことはないでしょう。
しかしそれでもなお、天心流は技法体系に柳生宗矩公の活人剣の思想と武士の哲学を守り伝える流儀です
この抜打はそうした矜持と哲学、思想性を体現した技法の一つです。
往時の士林団の武士、天心流の剣士が貫いた精神を感じつつ、稽古に励んで頂ければと思います。

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