過去に天心流を誹謗中傷していた人についてのお話です。
最近門人にフリマアプリ経由でコンタクトをしてきた相手が、実は過去に天心流をSNSで誹謗中傷を繰り返していた人物でした。
その人物は途中から他に同様に天心流を誹謗中傷していた人物ともSNS上で口論になり、中傷を取り消していましたが、後の祭りです。
吐いた唾は飲めぬという言葉がありますが、流儀を誹謗中傷するということは、取り消して済まされるような簡単な話ではありません。
当該人物は、武家や武士を論じていたようですが、それだけ大きく出てるということは、当然、筋を通すにも同様に、往時の武家、武士の世界と同様に行うべきものでしょう。
過去のことで詳しくは覚えていませんが、その人物はやはりSNSを通じて謝罪をしてきました。
しかしあまりに舐めすぎた態度です。
もし武家でそうした明らかな侮辱した行為に対して謝罪するならば、当然の手順を踏む必要があります。
まず筆を取って、当然それは直筆で、筆と墨で書かれるのが最低限ですが、身分を明らかにし、最大限の敬意を示し、謝意を示します。
その上で、可能であれば反省しているため正式に謝罪の機会をいただきたいと懇願をします。
そして謝罪の気持ちとして、相応の金品を用意する旨を付け加えます。
こうした場合は最低で10万円、彼の行為を鑑みれば50万~100万程度と考えられるでしょう。
さらに現代では昔と違い、SNSでの投稿が拡散され不特定多数の耳目に触れるわけであり、そのした侮辱による名誉回復のための最低限の誠意として、その人物が使用しているすべてのSNSで直筆画像による経緯と自らの愚かさの自白ならびに謝罪文の公開、またそれらを広告を使って拡散する旨も添えます。
彼が相手にしているのは、個人ではなく一流儀です。
いわば一族すべてを敵に回した行為です。
時代が時代であれば殺されても文句は言えない立場です。
それくらい行って当然です。
そしてそこに心からの反省と謝罪、誠意を感じ取れたならば、 謝罪を受け入れる用意があることを返信します。
そしてまず直接謝罪の席を設けます。
謝罪者は最低限でも紋付き羽織袴などの正装で指定された場所に一人で参ります。
謝罪者はまず自らの素性を今一度述べて、「謝罪を受け入れる機会を作ってくれた」ことに感謝を述べます。
その上で自らの過ちを認め、侮辱に対して誠心誠意の謝罪を行います。
そして誠意を示すため、金品を献上します。
その上で、そこまで言うのであればということで、改めて盃事の日取りを決めて、立会人を決めます。
日を改めて、立会人のもと、まず謝罪人は詫び状などを差し出し、立会人はこれを読み上げ、謝罪に偽りなしとみて、もし謝罪人に嘘偽りなどあれば神罰が下り、また立会人がこれを裁くという言葉を伝えます。
三人で盃を酌み交わします。
これにより晴れて和解成立となり、場合によっては宴会となります。
宴会費用は立会人が持つものと考えられます。
この場合、謝罪人と当方から、立会人に対して相応の謝金が支払われます。
(本来、謝罪される側の当方が支払うのはおかしな話であり、つまり謝罪人から献上された金品はここから供出されると言えます)
これは立会人が和解の席を準備したりするための支度金という意味があり、その後の宴席までも基本的には立会人が用意する性質になるからです。
この後は当流として、迅速に一門すべてに謝罪人との間に一切の遺恨なしということを強く伝えることになります。
往時はこれが不十分だと、道端で出会って斬り殺してしまうということも起きるからです。
また状況によっては、付き合いのある他流に対して書状で遺恨関係にあった謝罪人との関係が改善したことを回状します。
昔だと、友好関係にある一族などだと、仲間の矜持のためと、世話を焼く、つまり討ち果たすこともあったからです。
まあ往時の状況によって、時代によって、地域によって、様々ですし、私もまだまだ勉強中なので、おかしな点もあるかもしれませんし、これは極端に丁寧な謝罪の例として書いていますが、これくらいやっても当たり前なのが武門という世界です。
SNSで武士ごっこで他流をいたずらに貶し、自らの優位性を騙る無頼の輩には、到底理解できない世界です。
そして残念なことに武術界隈には、昔からこうした困った人々がとてもたくさんいて、私のわずか20年に満たない古武術界隈の経験でも多数の迷惑を被ることがありました。
葉隠などを読んでも、盃事の席で揉めて切合になったという逸話があったりします。
往時の武士の意地というのは、命がけでした。
他者を侮辱するというのは、それだけ危険な行為でもあるということです。
石井先生は、そうした本当の武士の姿もわからず、なんの後ろ盾もなく武士道を装う人々を「侍ごと(侍ごっこのこと)」と痛烈に批判していました。
まあ天心先生も武門について、まったく表面上にしか行えていない人なので、よそ事ではありませんが。
実に面倒なものですが、他流の人と関わりを持つ際には、十分に注意を払う必要があるということです。
そして天心流においては、そうした人々を他山の石として、反面教師としてSNSでの言動など慎んでいただければと思います。

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