現代武道ではそのほとんどが段級制度を採用しています。
これは明治時代に、後述する嘉納治五郎先生によって、囲碁、将棋を模して用いられたのが起こりといわれています。
また多くの団体では段級制度に付随し色帯を採用しており、級が上がるに従って白色から有色の帯へと変化し、有段者は黒帯を締めます。
江戸期の武術において用いられる階位制度を一般に伝位(でんい)と呼びます。
これは主に免状や巻物などの発行によって示されます。
現代では古流武術の中にも、現代武道に倣って段級制度を採用する流派も存在しますが、天心流では段級制度を採用していません。
これは石井先生が伝統を重んじたためであり、同時に石井先生が現代武道を否定していたからです。
階位の制度は流儀によって異なりますが、天心流では、初許(はつゆるし)、中許(なかゆるし)、奥許(おくゆるし)、切紙(きりがみ)、目録(もくろく)、免許(めんきょ)、皆伝(かいでん。また相伝ーそうでんとも)の七段階となっています。
皆伝は、一人の師家(しけ)から一人にのみ許されるものであり、実質的な段階は六段階となります。
こうした制度は、稽古の段階や腕前を測る目安となります。
江戸期には数字が上がっていくシステムを採用していた流儀はほぼ存在しませんでしたが、数字が増える、帯色が変わるなど、段階と目標が明確でモチベーションの向上や達成感の獲得に大変効果があります。
そのため組織拡大、門人増加の手段として有効であるため、明治以降に急速に普及しました。
しかし同時に手段が目的化してしまい、修業目的が歪んでしまうという危険性があります。天心先生は、石井先生から相伝印可のみ授けられており、完全な意味での伝位の区別、またそもそも全伝を思い出せないこと、またそもそも思い出してまで指導が必要なほどに稽古が進んだ門人も居なかったこと、そして免状、伝位の授与には相応の謝礼が必要であること、等の理由から一部を除いて長年授けていませんでした(*一)。
ですが、モチベーションの向上と、修業段階の明瞭化を考えた上で、正式な伝位と免状の授与は必要不可欠であると判断したことから、天心先生の許諾を得て、天心先生の記憶を頼りに大凡の判断基準を設けて授与をしてきました。
しかし往時の光願の武士を基準とした伝位を、現代の修業者にそのまま採用することには、大変な無理があります。
そこで現在、現代の通常の稽古でも取得可能なものとして、伝位をより小さな段階に刻む独自の伝位を考案、試験運用しています。
いずれにせよ伝位の取得は、目的ではなくあくまでも一つの手段であり、この手段が目的化してしまうと、いわゆる燃え尽き症候群の大量生産を行うこととなります。
手段の目的化という問題は段級制度、伝位制度のみに留まりません。
あらゆる演武、競技演武、試合競技など同様のことが言えます。
天心流では伝位や演武だけでなく、今後も修業の一環として、演武や試合の大会を行なう予定ですが、これらはあくまで修業の手段であり、目的では無いことを理解して下さい。

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