位の多い事

 「天心流の位には四季がある」

これは天心流兵法 第八世 師家(しけ) 石井清造(いしいせいぞう)先生のお言葉です。
稽古場は壁や天井によって風雨や日光から守られ、その床(板の間や畳)は均一で平らかです。
しかし屋外では風雨や日光に晒され、地面には凹凸があり、石や根や草にしばしば足を取られますし、傾斜もあります。
雨天であれば地面は泥濘(ぬかる)みますし、林ならば樹木の枝があります。
また戦いでは敵が一人とも限りません。
室内でも広いスペースが確保されて存分に刀を振るうことが出来るのは稀で、廊下や座敷など低い天井、鴨居(かもい)、襖(ふすま)、壁、すべてが身動きを制限し遮るものとなります。

このことから、石井先生は次のようにも教えています。

 「道場稽古は壁にぶつかる。山野はどこまでもある」

このように天心流に多数の位が存在する理由は、あらゆる天候、状況を想定しているためであるとともに、位を用いることで得られる心技体(しんぎたい)の多角的な向上を図り、実戦において想定不可能な構えと遭遇するリスクを軽減するためです。
先に論じた通り、位ひとつとっても、実戦では天候その他の条件において最適化する必要があります。
また少数の位(と動作)の修練ばかりでは能力に偏りが生じます。
あらゆる状況に応じることが出来る心技体を磨くには、多角的な修業が必要不可欠です。
そして、古来より実戦においてもっとも恐ろしいとされるのが未知というものです。「敵を知り己を知れば百戦(ひゃくせん)殆(あや)うからず(知彼知己者百戦不殆)」(孫子(そんし)「謀攻篇(ぼうこうへん)」)という言葉がありますが、逆に言えば「敵の用いる位を知らず、自らの位の活用方法に熟知していなければ勝てない」ということになるのです。
多くの位を知ることで、敵が珍しい位を用いてきたとしても、まったく同じものでないにせよ、似ているものから長所短所を探り、対策を講ずることが出来ます。(「相鐘(あいがね)の位」の項を参照のこと)

古来より「技法も構え(位)も多くは必要ない」という主張は存在しており、長く議論されてきました。
しかし本当の実戦では、自らに都合よく戦う場所を定めることが出来るとは限りません。試合や稽古だけではそうした現実の厳しさを学(ぶことは難しく、位が多いことの真の有用性を理解するのも難しいものです。
また実際にその有用性を発揮出来るほどに、正しい指導を受けて深く稽古を重ねるのも、そう容易(たやす)いことではありません。
私達は、往時(おうじ。過ぎ去った時。むかし。ここでは江戸期、またはそれ以前を指します)に命のやりとりという土壌(どじょう)によって培われた教えの重みと意義を大切にし、学んでいかなければなりません。

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