神座とは、御神体を配置する場所、方向であり、家屋、稽古場などでは神棚の配置されている場所になります。
神座は「しんざ」、ないしは「かみざ」と読みます。また「かむくら」と呼ばれたとされる説もあります。
日本の文化儀礼において、これはとても大切な概念であり場所です。
天心先生の記憶によると、天心流の指南所(兼稽古場)には神棚が設けられていたという事です。
一般に神棚が室内に設けられるようになったのは、鎌倉期から室町にかけて誕生したという説がありますが、一般に広く用いられだしたのは江戸中期になってからです。
そして江戸期においては道場に神棚が敷設される例は少なく、正面には天照大神の掛け軸、その左右に鹿島大明神(鹿島神宮)、香取大明神(香取神宮)の掛け軸を配置し、三柱(さんちゅう。神様は柱で数えます)を掛け軸で祀るのが一般的だったそうです。
しかし天心流を修めた、江戸初期の士林団の詰め所にあった指南所では、神棚があったという事です。
そのため、神棚(神座)に対しての儀礼は、必然的に重要な教えとして受け継がれています。
基本的に神仏への信仰心が無いというか、信じていないと公言して憚らない天心先生が、演武その他の際に、流儀としての儀礼に極めて煩いのはそうした理由からです。
さて今回は天心流における神座への礼儀作法について解説します。
これは、奉納演武の際にも心得ておくべき事ではありますが、それ以上に、武士として最低限の常識として、神仏への崇敬の精神を持った武士として、あらゆる時も正しく振る舞える心して学び、身につけるべきものです。
1,神座第一
まず演武の際など、拝礼をまず第一として、観覧者等への礼は後とします。
神仏以上に尊ぶべきものは存在しないという事で、演武のはじめも、終わりの際も、必ずまず神仏に拝礼を行った後に、観覧者に対して礼を行います。
また必ず、神仏への礼を深く行い、対して観覧者への礼はそれに比して浅く行います。
時々、これを心得違いに逆にする人が居ますので、くれぐれもご注意下さい。
神仏への礼は基本的に拝礼(90度)を基本としますが、状況に応じてやや浅めとしても構いません。
2,お尻を向けない
日本文化では、背中を向ける事を尻(けつ、しり)を向けると表現します。
これは基本的に無礼な作法とされます。
特に演武の最中など、これを極力避けるように注意します。
靖国神社など多くの神社の能楽堂などで演武する場合は、背面には壁などが在るので、普通に演武する分にはこの禁忌(きんき、タブー)を犯す事はないでしょう。
しかし、特別な場合、後ろに神棚、または神殿を背となるシチュエーションがあります。
そうした際には、観覧者が居たとして、神座に尻を向ける事をせず、斜めを向く、横を向くなどする必要があります。
御神前にて演武などする場合には、それは基本的には奉納演武であり、この際には観覧者は奉納演武の様子を見る第三者であり、第一は神仏であり、そこに奉ずる自らの向く先は神座に対してとなります。
ですから観覧者に見やすいように、神座に尻を向けるというのは大変不敬な態度であり、御神前に出る資格を失する事となります。

3,切っ先を向けない
では神仏に見えやすいようにと、神座に向かって演武するのも問題がなります。
通常の礼儀と同様に、刀の切っ先を向けるのは無礼、不敬に当たります。
文字通り、刃向かう(歯向かうとも書きますが)というように、刀を向ける行為は基本的に敵対的行動になります。
ですから、奉納演武の際も神座に剣先を向けるのを極力避けるように注意します。

4,神座に物を置かない
神座には、祭殿や神饌(しんせん。供物)、幣帛(へいはく。主に神饌以外のもの)、また神座を飾り付ける種々のもの以外は置きません。
神棚がある場合には、そちらに基本的に物を置いてはいけません。
荷物はもちろんの事、稽古用の刀を、とりあえず置いておくというのは極めて無礼な行為になります。

5,拝殿、御神前では慎む
特に靖国神社等、特別参拝(昇殿参拝)の際など、拝殿に進む際には会話を慎み(必要、格別な際を除いた会話は基本的に禁忌)、また走らず音を立てず、静かにしなければなりません。
そしてまた、基本的にはフォーマルな服装を心がけ、華美な装飾などは避けなければなりません。
(昨今では靖国神社のように、カジュアルOKとする神社が多いですが、本来はカジュアルコーデは禁忌であり、御社によっては参拝を断られます)
6,境内での行儀をわきまえる
・出入りの礼を行う
まず境内での出入りの際には鳥居の前にては訪問者として一礼を行います。
これは出入りの礼であり、神社に限らない礼節です。
・正中を避ける
そして正中を避けます。
正中とは、参道の中心の事です。
一般に神様の通る道などと言われていますが、神は神殿、神座に御わす、またはそこへ降りるのであって、参道は文字通り参拝者の道で神様は通りません。しかし中心を重要とする日本文化では、神への敬意として正中を歩くことを避けるという基本的な作法があります。
参道の幅によって、避けるべき正中の幅を変わりますが、基本的に参道の真ん中は避けるようにしましょう。
正中を横切る際には、神殿に対して軽く一礼してから通ると良いでしょう。
・手水を取る
手水舎(ちょうずや、てみずや)にて手と口を清めます。
(古来は沐浴を行ったとされます)
中には水を止めていたり、手水舎が無い場合もありますので、そうした際は省略して下さい。
水が止められている手水舎では衛生的に問題があり、清めのつもりで感染症をもらう危険性があります。
・拝礼を行う
鐘を慣らし、お賽銭を入れて二礼二拍手一礼の基本的な作法で行います。
御社によって、異なる作法が定められている場合もありますので、その際にはそれに従います。
基本的に境内は御神域であり聖域であり、自宅のような寛ぐ空間ではありません。
もちろん昔ながらの祭りであったり、子供の遊び場になっていたりと、慣れ親しむ場所としての一面も神社にはあります。
しかしそれは祭りなど格別な際や、特に氏子(うじこ。その神社のテリトリーに住まい、その神社を氏神として祀る人々)の話であって、それ以外の訪問者は崇敬の念を表すように注意しなければなりません。
さて、こうして代表的な内容を紹介しました。
しかしこうした実に日本的な儀礼、美意識も現代では日本人の間でも薄れ、忘れ去られ、軽んじられるようになりました。
私の実体験をいくつかここで共有します。
ネット上でも、多くの流儀が神棚に背を向けて技法を行ったり、試斬を行ったりしています。
また神棚に向けて剣を振り回す動画も多々存在します。
神棚はただの飾り物ではなくそこに神を下ろすものであり、稽古場に神棚を配置するというのは、日本の武藝においては相応の知識が求められ、稽古場での立ち居振る舞いに一層の注意が必要になります。
例えば海外において、神棚のある稽古場で神棚を正面として門人が整列する際には、私自身は斜めに坐して神棚に背を向けないように配慮しています。
また以前使用させていただいていた柿生武道館(現在は閉館、取り壊されています)には神棚が設けられておりました。お借りしているとはいえ、毎週使わせていただいている、柿生支部(現新百合ヶ丘支部)のホームグランドと言えます。
ですから年始年末など、格別な際にのみ刀礼を行っていました。
しかし訪問先の道場において神棚がある場合には、折に触れて拝礼、また刀礼を行っています。
これは訪問時のエチケットです。
また以前、格別な機会として本殿にて演武を奉納させて頂いた事があります。
諸流はその場の演武者、観覧者へ向けて挨拶と演武を行うか、また御神体の方向に切っ先を振っていました。
天心流と他一流儀(一人)のみが切っ先は神座を避けて、また背を向ける事も避けて演武を行いました。
また挨拶口上においては、斜めとして、原則神前にては祀られる神仏へ礼を尽くすという事から、演武の主催やその他参加者、観覧者への配慮と併せて、斜め向きとして天心流のみが神仏に配慮しました。
そして演武の前に、御神前において各々まったく配慮なく大声で雑談する中で、私は厳に黙して時を待つという次第でした。
結果的に、神職の方から、「天心流と他一流の時のみ、神様がいらしてご覧になられていた気配を確かに感じました」とお声がけを頂きました。
また別の演武会では、平然と参道の正中に演武者が荷物を放置し注意され、また刀を灯籠に立てかけ、境内の拝殿前にて鞘を払うという行為を行う様に唖然とした事があります。
悲しい事に、天心流の門人もそれに倣って刀を灯籠に立てかけていた為、厳しく注意を行いました。
祀られる神仏と神仏にお仕えする神職の方々はもちろんの事、氏子の方々にも顔向け出来ない極めて不敬で不躾で、情けない姿でした。
当然の事ながら、そこでの演武会は二度と開かれませんでした。
ある演武会では、拝殿を背にして記念写真を撮影していました。
多くの神社では、神座にカメラを向けるのをあまし良しとはしません。
神職の方の許可があれば別ですが、それ以外では、極力そうした撮影は避けるべきと言えます。
もちろん、江戸期以前にはカメラは存在しませんでした。
しかしそもそも御神体は神代、依代であり、それは多くの場合直接人の目に触れる事も憚られるものとされます。
そのため多くの場合、御神体を収める神殿は拝殿の奥に別に用いられ、通常、特別参拝(昇殿参拝)でも参拝者の目に触れる機会はありません。
日本の神仏への拝礼とは、畏(おそ)れの意識が根底にあります。
ですから、カメラを神殿の方角に向けるのは、畏れ多い振る舞いともされるのです。
行うにしても、神社側の許可を得て行うべきものです。
またその演武会は祭りの期間中に行われました。
しかしその祭りとは、地元の農家を営む氏子の方々が収穫を祝う祭りであって大きな行事ごとではなかったため、特に参拝客が多いという事もなく、殆ど人気がない神社での奉納となりました。
これを演武主催流儀の方が「祭りってすげーちっちゃな地元の収穫祭だよ。通りで誰もいない。祭りで人が来る思って演武日程入れたのにこれじゃ意味ねーや」というような事を口にされました。
愕然としました。
表向きとしては、「奉納演武は自らの大切とする流儀の技法、そして自ら研鑽する武技を神前にて披露し捧げるものであって、観客の多寡は無関係である」という事は言えますが、しかしそうは言っても一人でも多くの方々にご観覧頂きたいという本音はあります。
にしても、それを公言して憚らないというのは、あまりに奉納させていただく身として失礼極まりないものであり、思っても決して口に出さないのが最低限のマナーです。
むしろ「自分たちの武技が多くの人々の関心を集め、結果的に観覧者が参拝者となる」というのが理想であり、それが叶わぬ自らの未熟を恥じるべきであり、恨み節を口にするなど決してあってはならない事です。
また靖国神社の演武の反省会にて、私が「今日は多くの方々に見ていただけました」と話しました。
しかし全員一様に不思議な顔をしています。
その日は早朝平日という事もあって、参拝客、観覧者は殆ど居なかったからです。
私が「この意味が分かりますよね?」と聞きましたが、十名ほど参加した門人の誰一人として理解できる人は居ませんでした。
「この靖国神社には多くの英霊(246万6千余柱)が眠っており、私達はその御前で演武を披露しています。これほど多くの観覧を賜われていることを自覚して今後は演武して下さい」と伝えましたが、正直そこまで奉納演武を理解せずに演武されていた事に驚愕しました。
これは私が実際に体験した中のほんの一例です。また私とてご神職の方々からすれば、無礼な振る舞いも多々あるかと思います。また様々な事情でやむを得ないという事もあるかと思います。
例えば稽古中には完全に神棚を避けて刀を振ったり、背中を絶対に向けない事を考えていたら稽古になりません。
また演武中などでも必然的に剣を神座に向けて振る事もあるでしょう。
あくまでも出来る限りの心がけであり、配慮の中に、不可抗力が生ずるのは許容範囲と言えましょう。
問題はそうした日本的文化を知らず、重要しせず、原理原則を守らない事です。
残念ながら、日本文化に詳しいと思われている日本の特に古流武術の修行者や、指導者でさえも、こうした事を知らない人が圧倒的多数です。
ですが、そうした神社などの関係者の方々は、「武道を学ばれているのだから、精神性を高めたさぞ立派な方々の集まりで、一般の日本人と異なり、最低限の儀礼と、神仏への崇敬を持たれた方々に違いなく、だからこそ演武を奉納に来て下さっているのだろう。」と考えられています。
ですが実際にはそうした幻想とは裏腹に、先程挙げた例のような残念な現実があります。
そして、当然の帰結として、武術家も伝統武術も嫌われてきたのです。
もちろん江戸期においても各人意識には差があったことでしょう。
信心深い人もいれば、神仏なんのそのという人も居たでしょう。
しかし全体としての傾向は存在しており、平均的に見れば、現代とは比較にならない程に当時の人々の信仰心に厚く、儀礼作法が守られて居ました。
あなたはあるゲーム機を自分で作る事にしました。
そしてあなたはそっくりの筐体を作り、そっくりの塗装を施して、そっくりのコントローラーを作りました。
さて、その箱でゲームが出来るでしょうか?
答えは当然ノーです。
中身が無いからです。
往時の武士としてのあり方、心構えを軽んじて、当時の武技を理解して、それを身につける事が出来るでしょうか?
答えはノーです。
外形だけ模倣した、中身のない形骸化した見せかけだけのコピーゲーム機と同じです。
実際は電源すら付かず、何も出来ません。
そして今の世の中にはそうしたものばかりが出回っています。
天心流がゲームで採用されたのはなぜでしょうか?
もっと派手に回って飛んで振り回している流儀、また武術風なダンス、殺陣はいくらでもあります。
また本物を謳い、シンプルだから本物だと嘯(うそぶ)く流儀もあります。
しかし彼らはそれを選びませんでした。
選ばれたのは天心流です。
彼らは言いました。
「私達は散々、多くのものを調べて見ました。しかしそれらは私達の求める本物を感じませんでした。それを感じさせてくれた唯一が天心流だったんです。」
私達が口先だけでない、継承されてきたものに恥ずかしくない技法を体現するには、こうした部分まで理解し、実践していかなければなりません。

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