これから、時々テキストを投下します。
2種類のタイプに大別されます。
一つは、天心流の哲学や歴史についてなどです。
もう一つは、上達のための心得などについてです。
技法の意識
怖いことですが、指導者の技法はどんな時でも、それは見本とされる、手本とされることを意識しなければなりません。
気を抜いていたからなどというようなことは言い訳にはなりません。
しかし本来技法は、生きるか死ぬかという狭間、殺すか失敗するかというような命のやりとりを行っているのであって、そもそもが一回の技法には命の重さが含まれています。
そのように考えていれば、技法を大切に扱い、どんな時でもぞんざいに行うなど決してなりません。
同じ回数を稽古していても、意識が異なれば、その差は歴然となることは言うまでもありません
それでは意識が高いというのはどういう稽古をいうのでしょうか?
それは簡単で、言われたことを遵守出来るかどうかになります。
もちろん、指導が適切であるかどうかは重要であるのは言うまでもありません。
それが自己満足で、盲目的な稽古となれば、どれだけ時間を割こうとも上達にはつながりません。

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